泣ける話という謳い文句が苦手でした。
なんだか自分で作っておいて、爆笑必至ですと言いながらギャグを手渡すような。
そういう、うすら寒さを感じてしまっていました。
泣くかどうかはこっちで決めるよ、という受け取る側の自尊心みたいなものもあるような気がします。
その考えが少し変わったと思えたのは、今度開催する展示会で来場者さんに塗ってもらう「ぬり絵」を作っている時でした。
展示作品に出てくるキャラクターのぬり絵線画を描いていたのですが、スニーカーをちゃんと描き込んでクオリティを上げようとしていました。
複雑なパーツが多いスニーカーを描くのが面倒といった後ろ向きな気持ちが、意外にもいい気づきを与えてくれました。
ふと、これは塗るのを楽しんでもらうためのぬり絵なんだなと思いました。
線画で完成するものじゃない。塗りたいと思って、他のひとに手を入れてもらって完成するもの。
目的は塗ってもらうこと。もっと踏み込んで言うと、楽しんで塗ってもらうことだ。
だから、塗りやすさが必要なんだと気づきました。
それで、紐ががっちりと組まれたスニーカーじゃなくて、パーツがわかりやすい子供用の靴にしました。
このことがあって、ジャンルというものの重要性に改めて思い至りました。
ホラーなら、これは怖がらせるもの。とても怖い話ですと言って出すのが、ホラー。
目的は怖がらせることで、完成度が高くても怖くないと満足度はひくい。
「泣ける話」というコピーはあまりにも作り手の思惑を感じて苦手だけど、「これは感動的なヒューマンドラマです」と言われると腑に落ちる感じがする。
今までなんとなく、先にできている話があってそこから連想されるジャンルを企画書に書いていました。
もしかしたら1番に最初に決めるのは、ジャンルなのかもしれない。
そうじゃないと、渡し方がぶれるから。それでは企画書の意味が薄れてしまう気がしました。
次は試しに、ジャンルから決めてみようと思いました。
最近は「〜の話」というタイトルで、日記ブログを書いています。
SNSであまりにも詳しく内容を説明されると、やっぱり受け取り方を指定されているみたいで窮屈なんだけど、「涙が出た話」や「怒ってしまった話」のようにジャンルくらいは先に言ったほうがいいかも。
今はもう読むものが多すぎるから、なんだかわからない話はよほどじゃないと読む気になるのが難しい。
それこそ「泣ける話」のように、思い切り涙を流してすっきりできますよ!と言われた方が長々と内容を説明するよりいいんだろうなと思ったできごとでした。